2019年01月20日

万事を益に

 教会員のT姉が、1月14日の深夜、老衰のため静かに天にお帰りになりました。本日、私は教区の講壇交換で川崎教会に行きますので、葬儀に出席できなかった方のために、ここでT姉のことをお伝えさせていただきます。
 T姉のお嬢さんが9歳の時に、慶応病院に入院されました。同じ病室に、西落合教会の教会学校に通っていたお子さんが入院しておられ、そのお子さんをお見舞いに来た西落合教会の牧師と、そこで出会うことになったのです。お嬢さんが退院されるとき、その牧師から辻堂教会を紹介されたそうです。1955年のことでした。そのときの辻堂教会は、開拓伝道が始まってまだ4年目、小さな民家で集会が行われていました。礼拝の出席者は8名位。教会のイメージとあまりにも違うのでびっくりしたそうですが、でも、T姉はその教会に通うようになり、信仰を持たれ、それ以来、ずっと教会を支え続けてくださったのです。
神さまは「万事を益となるようにして下さる」(ローマ8:28)とありますが、お嬢さんの入院が、T姉が教会と結びつくきっかけとなったのです。「万事を益に」、これがT姉の信仰の原点となりました。私たちも、その信仰に続く者とならせていただきましょう。(島津)
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2019年01月13日

本当の幸せ

 新しい年が始まりました。誰もが、幸せな年となりますようにとの願いをもって、新しい年を迎えたのではないかと思います。私たちの教会の信仰的なルーツであるメソジストの創始者のジョン・ウェスレーは、こんなことを言っています。
「メソジストとは心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主なる神を愛する人である(マルコ12:30)。神がその人の心の喜びであり、たましいの望みである。…それゆえその人は神にあって幸せである。」「神と人間との愛の関係は、人間に本来的な聖なる姿を意味するばかりか、本来的な幸福の姿をも映し出している。…ウェスレーはという組み合わせを好んで用いた。」(ジョン・ウエスレー 「キリスト者の完全」 藤本満訳P41 同書注P48)
 神さまを礼拝することは、神さまに祝福された、本来の人間の姿なのですね。ですから、神さまを賛美し、礼拝をささげるとき、神さまは私たちに聖霊を豊かに与えてくださり、心も体も元気にしてくださるのです。礼拝をささげること、そこに幸いな一年を送る鍵があるのだと思います。礼拝に行かなければならないという義務感からではなく、今年も、喜びをもって礼拝をささげていきましょう。(島津)
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2019年01月06日

箱根駅伝

 今年も、2日に箱根駅伝の応援に行ってきました。いつも応援に行く3区(戸塚―平塚)では、出遅れていた青山学院が区間新の走りでトップに躍り出ました。応援に行く度に感じることですが、その速いこと、あの速さで何十キロも走るのですから、これは鍛錬の賜物ですね。
 レースはその後、東洋大学が抜き返し、往路は東洋大学の勝利。東洋大学出身の友人がいるので、彼の喜んでいる顔が浮かびました。復路は、なんと東海大学がトップに立ち、そのままゴール。東海大学、頑張りました。悲願の初優勝、おめでとう。青山学院は復路で盛り返し、2位。あきらめない走り、さすがでした。東洋大学は残念でした。今年こそという感じだったのですが。この悔しさをバネに、きっと来年、いい走りを見せてくれることでしょう。
 さてイエスさまは、主人から、5タラント、2タラント、1タラントを預かった僕の話をしてくださいました(マタイ25:14以下)。5タラントを元手に5タラント儲けた人も、2タラントを元手に2タラント儲けた人も、「良い忠実な僕よ、よくやった」と、主人は同じ言葉でほめてくれました。人との比較ではなく、自分に与えられた賜物を精一杯、用いること、それを主は喜んでくださるのです。誰でもが金メダルをもらえる。嬉しいですね。(島津)
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2019年01月01日

朗らかに

 新しい年が始まりました。今年は、どのような年になるでしょうか。
 「みことばの光」に次のような文章が紹介されていました。「先生(新渡戸稲造)は懐疑と憂鬱とを知った人です。博士が人に向かってチヤフルを説いたのは、先ず自分自身がその必要を学んだところの実験的知恵ではないかと思われます」(矢内原忠雄)。チヤフル(cheerful)はほがらかという意味である。」
 新渡戸稲造は、国際連盟の事務次長を務め、東京女子大学の初代学長など、教育の分野でも大事な働きをしたキリスト者です。5千円札の肖像にもなりましたね。彼は、病のために職を退かなければならなかったり、国際的な難しい問題の対処に苦悩したり、というところも通ったようです。その彼が、「朗らかに」ということを説いたというのは、意味が深いと思いました。困難な問題に直面すると、どうしても悲観的になりがちですが、そのようなときこそ、「朗らかさ」が必要なのですね。
「私が朗らかになれるようにしてください」(詩篇39:13新改訳)。これは、環境を変えてください、ということ以上に、「神が朗らかな心を与えてくださる」という信仰の祈りです。新渡戸は、この祈りに生きたのだと思います。(島津)
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2018年12月30日

感謝の心を忘れずに

先週26日に大阪で行われた岡田信常先生の葬儀に出席してきました。式の最後の挨拶の中で、夫人の啓子先生が、岡田先生が説教を最後までできなかった時があった、と話されました。それは、聖書学院を卒業してまもなく、開拓伝道をすることになったが、それが挫折して止めなければならなくなった。行き場のなくなったとき、ある教会の手助けをするという道が開かれた。その教会での最初の説教のとき、再び説教をすることができるという感激で、途中で説教ができなくなった、ということでした。
私は、式の中で先生の思い出を語らせていただいたのですが、その中で、岡田先生は、伝道の情熱に燃え、説教を喜びをもって語られた先生だった、ということを話したのですが、その背景に、若かりしときの挫折の経験、そして、再び説教を語ることができるように回復させてくださった主の恵みに対する感謝があったのだ、ということを知りました。私も、主の恵みによって、主のみ言葉を語らせていただいているという感謝を忘れずに、その務めを果たさせていただけなければならない、と改めて思ったことです。
 一年の終わりに当たって、ここまで支えてくださった主に、心からの感謝をささげましょう。(島津)
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2018年12月23日

再生の恵み

先週、今年最後の祈祷会を守りました。あっという間の一年ですね。 
その祈祷会で詩篇85篇を読みました。この詩篇は、イスラエルの民がバビロン捕囚から帰還した後、その感謝や喜びの感情がしだいに冷め、神殿再建の工事も途中で頓挫していた頃に歌われた詩篇ではないかと言われています。ハガイやゼカリヤが、総督ゼルバベルや大祭司ヨシュアを励まして神殿再建工事に立ち上がらせる直前の時代のようです。
6節にこう歌われています。「あなたの民が、あなたによって喜びを得るため、われらを再び生かされないのですか」。これは、「再び生かしてください」という強い願いが込められた訴えです。周りの国々の妨害におびえ、神殿の再建よりも自分のことだけに心を奪われている民の姿は、まさに信仰的に死んでしまっている状態だったのです。そのような状況の中で、この詩人は、「再び生かしてください。彼らを再生させてください」と祈っているのです。
私たちの状態はどうでしょうか。喜びや感謝があるでしょうか。それとも、冷めてしまっているでしょうか。民は、ハガイやゼカリヤが語る神の言葉を聞いたとき、再び立ち上がる力をいただくことができました。再生の鍵は「神のことばを聞く」ことにあります。「聞く人は生きる」(ヨハネ5:25)のです。(島津)
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2018年12月16日

シオンの大路

 祈祷会で詩篇84篇を読みました。「その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人はさいわいです。彼らはバカ(涙)の谷を通っても、そこを泉のある所とします」(詩篇84:5〜6)。
今年は、災害の多い年でした。道が土砂で寸断されて、孤立してしまった地域のこともニュースになりました。道が閉ざされ、生活に必要な物資が届かなくなるということは、本当に大変なことです。
詩篇84篇は、神さまへの道がつながっているか、と私たちに問いかけています。神さまへの道が閉ざされていると、神さまからの恵みが届かなくなってしまいます。神さまからの道を閉ざすものは、人間の罪です。私たちの中に罪があるとき、私たちは神さまに向かって、まっすぐに顔を向けることができなくなってしまいます。このような私たちを救うために、神さまの方から救い主として来てくださったのがイエスさまでした。イエスさまの十字架によって、私たちの罪は贖われ、罪を赦されたものとして父なる神さまの前に出ることができるようにしていただいたのです。神さまへの大路が通じたのです。ですから、私たちは大胆に祈ることができるようになりました。そのとき、涙の谷も泉ある所に変えられるのです。改めて、主のご降誕を感謝しましょう。(島津)
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2018年12月09日

アドベントに思う

今年も早いもので、アドベントの季節となりました。アドベントとは、「到来」という意味です。教会では、クリスマスまでの4週間を、アドベントの期間として守ります。主イエス・キリストが、私たちの救い主として来てくださったクリスマスの日を祝い、感謝する心を整える時です。
また、「到来」には、天に帰られた主イエスが、再びおいでくださる「再臨」の意味もあります。主イエスが再びおいでくださる時を待ち望み、備える心をも整えるのです。
主イエスが家畜小屋でお生まれになったとき、そのベットは飼葉おけでした。そして、それが救い主のしるしだと、御使いは羊飼いたちに伝えました。それは、主イエスは、一番下にまで降りて来てくださった救い主、どんなに汚れた心の人をも救い出し、その人の心にも宿ってくださる救い主だというしるしでした。
それは、私の心にも宿ってくださる救い主だということです。主イエスは、心の扉をノックしていてくださいます。だれでも、心の戸を開けるならば、主イエスは喜んで入ってきてくださると約束してくださっています(黙示録3:20)。クリスマスを迎える何よりの備えは、主イエスに心を開き、「どうぞ、私の心にもお宿りください」と祈ることです。主イエスは、あなたの心にもお宿りくださいます。(島津)
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2018年12月02日

全国信徒大会

11月23日に沖縄の那覇市で行われた全国信徒大会のために、お祈りいただき、ありがとうございました。全国から約340人の方々が集まってくださり、神さまの祝福にあふれた時を持つことができました。
 南西教区の方々が、心を込めて準備してくださり、三線(さんしん)の演奏、踊り、空手の演武まで登場して、私たちを楽しませてくださいました。100名を超える連合聖歌隊の賛美も素晴らしかったです。
 私は、今年の教団の標語のみ言葉であるピリピ2章1〜11節から、これも今年の教団のテーマ、「『イエス・キリストは主である』の信仰に生きる〜心を合わせ、ひざをかがめ、高らかに主を賛美しつつ〜」と題して、@愛の教会の建設、A聖なる教会の建設、B宣教の教会の建設ということを語らせていただきました。肉体的には弱さを感じつつのご奉仕でしたが、皆さんの祈りに支えられて全うできました.。感謝いたします。
 この大会全体のテーマのみ言葉は、雅歌4章16節「南風よ、吹け」(新改訳)でしたが、まさに聖霊の南風が吹いていることを感じる大会でした。集った一人ひとりが、この南風に乗って全国へと遣わされて行きました。これから、各地でどんな神さまの御業が始まっていくか、楽しみです。(島津)
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2018年11月25日

み顔の光

詩篇80篇には、「み顔の光」という言葉が、3回出てきます。「神よ、われらをもとに返し、み顔の光を照らしてください。そうすればわれらは救いをえるでしょう」(3)。「万軍の神よ、われらをもとに返し、われらの救われるため、み顔の光を照らしてください」(7)。「万軍の神、主よ、われらをもとに返し、み顔の光を照らしてください。そうすればわれらは救いをえるでしょう」(19)。
 詩篇80篇は、北王国イスラエルがアッスリヤに滅ぼされたとき、南王国ユダの人々がそれを嘆いて歌った歌だと言われています。ここには、「み顔の光」と共に、「われらをもとに返し」ということも3回、歌われています。かつて、イスラエルの12部族が一つとなって王国を築いていたように、国を「もとに返してください」との願いが込められているのだと思います。
 「み顔の光」という言葉を、ある英語の聖書は「スマイル」と訳しているそうです。心から悔い改めて、神のもとに立ち返るとき、神はみ顔の光を照らしてくださる、そしてそのときの神さまの顔は、スマイル(ほほえみ)だと言うのです。あの放蕩息子が帰って来たときの父親の顔も、きっとそうであったろうと思います。だから、私たちもやり直すことができるのです。(島津)
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