2019年08月18日

3つのルール

だいぶ前に読んだ「解決志向ブリーフセラピー」という本を読み返しています。「ブリーフ」とは短いという意味で、「短い期間で解決に向けて成果が得られる援助方法」ということだそうです。
その本で、「3つのルール」ということが紹介されていました。
<ルール1>
 もしうまくいっているのなら、変えようとするな。
<ルール2>
 もし一度やって、うまくいったのなら、またそれをせよ。
<ルール3>
 もしうまくいっていないのであれば、(何でもいいから)違うことをせよ。
 問題が起きているときは、この3つのルールのどれかを違反しているときだそうです。1の違反は、せっかくうまくいっているのに変えてしまう。2の違反は、一度やってみてうまくいったのに、問題ばかりに気を取られて、それを見過ごしてしまう。3の違反は、自分の考えに固執して変えようとしない。何だか、思い当たることがありますね。うまくいっていなかったら、違うことを試してみてる。そんな柔軟性が必要だと思いました。そして、うまくいったら、それを続ける。こうして良い循環が始まるのですね。(島津)
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2019年08月11日

愛すること、赦すこと

映画、「マンデラ 自由への長い道」を見ました(DVDで)。南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離政策)に反対し、27年間も投獄され、その後、ついに大統領になったマンデラさんの伝記映画です。映画の終盤、憎しみ合い、暴力がエスカレートとしていく中で、「私は彼らを赦す」と言って、平和を訴える姿が感動的でした。「生まれながらに、肌の色のせいで他者を憎む者などいない。人は後から憎むことを覚えるのだ。ならば、愛することも学べるはずだ。なぜなら、愛というものは、人の心にとって、ずっと自然だから」という言葉も印象的でした。
もう1本、「パジュランギおじさんと、小さな迷子」というインドの映画を見ました。これは面白い映画でした。パキスタンの少女がインドで迷子になってしまいます。その子をインドの青年が、パスポートもビザもない中で送り届けるという物語です。インドとパキスタン、ヒンドゥー教とイスラム教、その違いを超えて、人々が愛によって助け合っていくのです。
自分を正当化し、他者を非難することが多くなってしまっている今の社会の現状を思うとき、改めて、愛と赦しの大切さを思った休日のひとときでした。(島津)
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2019年08月04日

大掃除

先週の日曜日は、礼拝後にみんなで大掃除をしました。台風が心配でしたが、天候も何とか守られ、大勢の方々が参加してくださり、感謝でした。牧師室の床を、子どもたちが一生懸命に磨いてくれました。感謝感激です。
 先日の女性会で、「賜物について」学びました。神さまはすべての人に、それぞれにふさわしい賜物を与えてくださっている。からだには様々な器官があり、それぞれの器官が助け合って、一つのからだを造っているように、神さまから与えられた賜物をみんなのために用いていくところに、キリストのからだなる教会が造られていく。そのとき大切なことは、「惜しみなく」「熱心に」「快く」(ローマ12:8)、その賜物を用いていくことだ、ということを学んだことでしたが、まさにそのように、それぞれに与えられている賜物を生かして、楽しく、教会堂をきれいにすることができて感謝でした。
 先週は、教区のファミリーキャンプが行われ、子どもたちが「楽しかった!」と言って、元気に帰ってきました。11日から教団のファミリーキャンプ(芦ノ湖)、12日から教団のユースキャンプ(群馬県みなかみ)が行われます。キャンプの安全と主の祝福が豊かにありますように、お祈りください。(島津)
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2019年07月28日

朝の胎から出る露のように

祈祷会で詩篇110篇を読みました。3節に、このようなみ言葉がありました。
「あなたの民は、あなたがその軍勢を聖なる山に導く日に、心から喜んでおのれをささげるであろう。あなたの若者は朝の胎から出る露のように、あなたに来るであろう」。
 王様が軍勢を招集します。そのとき、人々は心から喜んで集まってくる、しかも、若者たちが、朝の胎から出る露のように集まってくるというのです。
 朝早く、散歩をすると、野の草に露が宿っているのを見つけることがありますね。昼間のうちは何もなかったのに、早朝には露が宿っているのです。それはまるで、朝の胎内から産み出されたようだ、というのです。
 夜、気温が下がると空気中の水蒸気が葉っぱなどの上で水滴となります。もし、そのような知識がなかったとしたら、朝、葉っぱの上に水滴があるというのは、とても不思議なことに見えるのではないでしょうか。人には不思議に見える露のように、神さまは喜んで主に仕える若者たちを産み出してくださるというのです。いよいよ夏、キャンプのシーズンが始まります。若者たちの上に、主の恵みを祈りましょう。(島津)
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2019年07月21日

心を注ぎ出す祈り

祈祷会で、詩篇109篇を読みました。この詩篇は、ある意味、すさまじい詩篇で、敵を呪う言葉が続いています。まず、彼らが自分に対してどんなにひどいことをしたかを語ります。そして、彼らを罰してください、と祈るのです。それは、自分に悪を行う者たちだけにではなく、彼らの妻、子どもたち、父や母にまで災いを下してほしいとさえ祈るのです。こんな祈りを祈っていいのかしらと思うような祈りの言葉です。
 ここに、怒りの感情をどう扱ったらよいのかが示されています。自分のお腹の中にため込むのではなく、それを神さまの前に持ち出すということです。心を注ぎ出すのです。神さまの前に、私たちはお上品でいる必要はないのです。辛かったら辛い、悔しかったら悔しいと言っていいのです。神さまは、それをしっかりと受け止めてくださいます。
 全部、吐き出すと、不思議と心に静けさがやってきます。すると、今まで気づかなかった、自分の姿に気づくようになるのです。この詩人も、「わたしは貧しく、かつ乏しいのです。わたしの心はわがうちに傷ついています」と祈るようになりました。そこから、回復への道が開かれていきます。傷ついた者を癒してくださる主の恵みにあずかり、感謝に生きる者へと変えられるのです。(島津)
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2019年07月14日

しののめを呼びさます

 祈祷会で、詩篇108篇を読みました。1節にこう歌われています。
「神よ、わが心は定まりました。わが心は定まりました。わたしは歌い、かつほめたたえます。わが魂よ、さめよ。」
口語訳聖書が、「神よ、わが心は定まりました」と訳しているところを新改訳聖書は「神よ 私の心は揺るぎません」と訳しています。信仰がぐらついてしまうことがあります。揺れてしまうのです。しかし、賛美と祈りの中で、神さまへの信頼を取り戻します。ですから、「もう揺るぎません」と言うことができたのですね。
口語訳の「定まりました」という訳も、味わい深いと思いました。どっちにしようかと迷っているのです。右に行くべきか左に行くべきか。そういう意味では、揺れているのです。でも、もう揺るがない。心は定まった。ここに、晴れ晴れとした気持ちが歌われています。
2節の最後には、「わたしはしののめをよびさまします」とあります。新改訳聖書は「私は暁を呼び覚まそう」と訳していました。賛美によって、夜明けが呼び覚まされるのです。真っ暗だと思うときこそ、主を賛美しましょう。そのとき、明るい光が差し込んでくるのです。(島津)
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2019年07月07日

主に呼ばわる

 祈祷会で詩篇107篇を読みました。この詩篇107篇には、「彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから助け出し」という言葉が、6節、13節、19節、28節に、計4回も記されています。そして、それと対になるようにして、「どうか、彼らが主のいつくしみと、人の子らになされたくすしきみわざとのために、主に感謝するように」という勧めが、8節、15節、21節、31節に、やはり4回書かれています。
 「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」(詩50:15)と言われていますが、まさにその主の呼びかけに応えて、107篇を記した詩人は、悩みの日に主を呼んだのです。そのとき、その詩人は主の救いを体験したのです。そして、主をあがめる者となったのです。主は祈りに答えてくださるという経験を積んでいくことが、私たちの信仰生活を生き生きとしたものとします。
 先週の祈祷会の朝は、まるで台風のような大雨となりました。皆さんの足元を心配しましたが、どうしてどうして、「雨にも負けず、風にも負けず」、祈りの勇士たちが集い、篤い祈りをささげることができました。ここに、教会の力の源があると、改めて感じたことでした。(島津)
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2019年06月30日

「ホーリネス弾圧記念聖会」

 先週23日に行われた「ホーリネス弾圧記念聖会」の夜の聖会で、説教の務めを果たさせていただきました。お祈りに、感謝します。
 1942年6月26日に、ホーリネス系3教会(教団)の牧師が、特別高等警察によって一斉検挙されました。再臨信仰が「国体を否定」するものだとされたのです。イエス・キリストが再びおいでくださるとき、天皇陛下も裁かれるのか、と問われたのです。こうして、270を超える教会が解散させられ、第二次検挙も含めて、130人を超える牧師が捕らえられました。厳しい取り調べや過酷な環境による衰弱や病気のため、7名の牧師が命を落としました。当時、横浜教会の牧師であった、菅野鋭(すげのとし)先生も、殉教されたお一人です。
 私たちは、再びあのような時代が来ないように、「信教の自由」を大事に守っていかなくてはなりません。そして、「イエス・キリストは主である」との信仰を、しっかりと受け継いでいきましょう。そのために大事なことは、毎週の礼拝だと思います。ここで、私たちは主の愛のシャワーをいっぱい浴びて、そして、主イエスこそ、私たちの主です、との信仰を新しくするのです。心を込めて、主に礼拝をささげましょう。(島津)
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2019年06月23日

日本福音連盟山形大会

6月16日(日)の夜から18日(火)まで行われた、日本福音連盟山形大会に出席してきました。16日と17日の夜に行われた聖会の会場となったのは、ウェスレアン・ホーリネス教団の山形南部教会でした。この教会は、トヨタ自動車の倉庫だったところを買い取って改装して造られたということですが、内装がとても素晴らしく、ステキな教会でした。
 17日の午前には総会が行われ、午後は、「東北におけるキリスト教の歴史」というテーマで、学びのときがありました。講師は、川上直哉師(日本基督教団 石巻栄光教会牧師)で、仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク・東北ヘルプ事務局長として、東日本大震災の被災支援にも力を注いでいる方です。主に、東北におけるキリシタン殉教の歴史についてお話しくださったのですが、東北でも各地で多くの殉教者を出しているのですね。翌日の18日には、米沢の北山原殉教遺跡に行きました。信仰を守り通して、ここで命をささげた方々がおられるということを思うとき、熱いものがこみあげてくるのを感じました。こういうところに立つと、心が燃やされますね。この日本に福音が根づくために、さらに励まなければ、という思いを新たにして帰ってきました。(島津)
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2019年06月16日

わたしのためにも祈ってほしい

使徒パウロは、迫害のために捕らえられていた獄中からエペソ教会に手紙を書き、その結びのところで、「わたしのためにも祈ってほしい」(エペソ6:19)と書き送りました。彼は、「(鎖に)つながれていても、語るべき時には(福音を)大胆に語れるように祈ってほしい」(20)と書いています。彼は、神さまからゆだねられた働きを、自分の力で行うことができるとは思っていませんでした。そこで、その務めを十分に果たすことができるように、「わたしのためにも祈ってほしい」と書いているのです。祈り、祈られる、ここに教会の姿があります。
 かく言う私も、このところハードなスケジュールが続いています。「わたしのためにも祈ってください」、そんな思いの中にいます。10日(月)に、夏季聖会の準備祈祷会が行われ、聖会で説教者として立てられている私のためにも、皆さんが熱心に祈ってくださいました。ある牧師が、「60点で合格ですから」と声をかけてくださいました。これは、教団の聖別派遣式(任命式)のときに、私が繰り返し、皆さんに言ってきた言葉でした。自分が言ってきた言葉を自分に返されて、ハッとしました。ちょっと力んでいた自分を発見しました。肩の力を抜いて、主にゆだねて。気持ちが楽になりました。(島津)
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