2018年06月17日

あなたがたの心を注ぎ出せ

先週の祈祷会で詩篇62篇を読みました。詩篇62篇というと、何と言っても8節ですね。「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である」。これまでも、何度、このみ言葉によって励まされ、力をいただいてきたことでしょう。
 「いかなるときにも」と主は言われます。自分で制限を設けてしまって、「これはもう駄目」と思い込んでしまったりしがちです。しかし、主は、こちらで先に範囲を決めてしまうのではなく、「いかなるときにも」と言われるのです。
そして、「そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ」と言われます。「注ぎ出す」とは、全部を、残らず出し切るということです。神さまの前に、飾る必要はないのです。私たちの祈りを聞いてくださるお方は、すでに全部を知っていてくださるお方です。だから、もう何も言わなくても良いというのではないのです。自分の思いを全部吐き出して、聞いていただくということが大事なのです。息を吐き出すとき、新鮮な空気をいっぱい吸い込むことができるように、心を注ぎ出して祈るときに、神さまの力をいっぱい吸い込むことができ、祈りに答えてくださる神を体験することができるのです。(島津)
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2018年06月03日

身体の声

 先週の29日〜31日に行われた教団の牧師研修会に参加してきました。今回は、講師に牧師であり、また臨床心理士でもある丸屋真也先生をお迎えして、「牧師のライフサイクルにおける危機とその対応」というテーマで行われました。
 牧師になって初めの頃の危機、ある程度経験を積んできたときの危機、そして隠退が近づいてきたときの危機、と様々なライフサイクルにおいてどのような危機があり、それに対してどのように対応していったらよいのかということを具体的に学ぶことができた研修会でした。
 印象に残ったことの一つは、「危機は、次の段階に進むハードルだ」ということでした。誰にでも、危機は訪れます。でも、それをマイナスと受け止めるのではなく、次の段階に進む時なのだと前向きに受け止めて対処していくとき、危機はその人にとってプラスに働くのだと思いました。
もう一つのことは、「神様の御心が最初に表れるのは身体だ」という指摘です。「身体の声をよく聞いてください」と勧められました。ついつい無理をして頑張ってしまいがちですが、身体が悲鳴をあげないように、身体の声に耳を傾けつつ歩んでいきましょう(自戒!)。(島津)
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2018年05月27日

アジサイ

 時のたつのは早いもので、もうアジサイの花が咲く季節となりました。アジサイといえば、昨年の教会建設のときのことが思い出されます。大通りから教会へと入ってくる道が狭くて、工事車両が入ってくることができるだろうかということが心配されていました。その道のちょうど入り口あたりに、アジサイの木が葉を茂らせていて、これを少し、剪定していただこうということになりました。まあ、なかなかお願いしづらい感じもあり、でも、時が迫って来て、いよいよお願いに行かなければという時に、何と、剪定をしてくださっていたのです。まだこちらがお願いに行く前に、です。
 モーセが神の杖をかざすと、海が裂けてそこに道ができたように、私たちが剪定をお願いする直前に、神さまは工事車両が入る道を開いてくださったのです。何という絶妙なタイミング!神さまのなさることは、本当にすごいですね。
 ちなみに、アジサイは土壌によって花の色が変わるそうですね。酸性の強い土壌は青色の、アルカリ性の強い土壌はピンク色の花が咲くそうです。さて、私たちの心の土壌からは、何色の花が咲くでしょうか。
(島津)
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2018年05月20日

「親知らず」奮闘記(2)

 先週、「親知らず」を抜いた所と、頬の内側が白くなっている部分を検査するために切除した所の抜糸が、無事に終わりました。頬の内側の検査の結果も出て、「心配なし」とのことでした。肘の皮が厚くなるように、何度も噛んでしまっていたので、その部分が厚くなってしまっていた状態だったそうです。親知らずを抜いたので、これからは頬を噛んでしまうことはなくなるでしょう、とのことでした。お祈り、ありがとうございました。
 問題は、反対側の親知らずで、歯茎の中に埋もれていて、横向きになっているのだそうです。隣の歯に悪い影響を与えてしまうかもしれないので、抜いた方が良いかどうか、さらに詳しい検査をしてみましょうということになりました。
あの痛みをまた経験しないといけないのかと思うと、気が重いです。聖書に、「平和の神ご自身が…あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って」(Tテサロニケ5:23)と書かれていますが、霊と心とからだはつながっているのですね。からだが痛いと、心にも、霊(信仰の面)にも影響するのですね。からだが弱ったときには、心にも、霊にも、ケア(配慮、気づかい)をしていく必要があるのだということを改めて実感した次第です。(島津)
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2018年05月13日

「親知らず」奮闘記

 頬を噛んで白くなってしまっている所があり、その原因が「親知らず」だということで、その歯を抜くことになりました。歯医者さんから紹介された東京の大学付属病院に行き、先週10日に抜いて来ました。
 そもそも、何で一番奥の歯を「親知らず」というのか、ご存じですか?私は知らなかったので調べてみましたら、「親知らず」が生える時期が、だいたい20歳代くらいなので、親に知られることなく生えてくるので、「親知らず」というそうです。
 経験者からいろいろ聞かされて、それなりに覚悟をして行ったのですが、やっぱり、ちょっと大変でした。麻酔の注射を打つときの「チクリ」とした痛み。イヤですね。それを何箇所か。なかなか抜けないので、歯を割るドリルの音。不気味です。それでも、何とか無事に終ってホッとしました。でも、本当はその後が大変。食事はおかゆを反対側の方ですするようにして食べたのですが、それでも、イタタ。痛み止めは飲んでいるのですが。どうも気が小さくて、痛みに弱いようです。
 伝道の書12章3節の「ひきこなす女は少ないために休み」(3)を、リビングバイブルでは「歯がなくなって物もかめず」と訳しています。そこで、そうなる前に「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」と勧めているのです。本当に、そうですね。(島津)
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2018年05月06日

ユリノキ

 久しぶりに新宿御苑に行ってきました。広場にひときわ大きな木が立っていました。近づいてみると、「ユリノキ」(英語名はチューリップツリー)と書かれていました。ちょうど、名前のように、ユリの花の形をした、そしてチューリップの花にも似た形の花をたくさん付けていました。そして、この木が新宿御苑のシンボルツリーだとも書かれていました。新宿御苑には何度も来たことがありましたが、今まで知りませんでした。
 遠目には1本の木に見えたのですが、近づいてみると3本の木が寄り添うようにして立っていました。樹齢は120年以上(推定)とも書かれていました。空襲で園内はほぼ全焼したとホームページに書かれていますので、この木は、そんな戦火の中も生き抜いてきたのでしょう。
 「1人なら打ち負かされても、2人なら立ち向かえる。3つ撚りの糸は簡単には切れない」(伝道4:12新改訳聖書)。この木を見ていたら、このみ言葉が浮かんで来ました。明治40年には園内のユリノキの種子が東京に払い下げられ、現在の東京都内の街路樹のユリノキは、御苑のユリノキが母樹だそうです。1本の木から広がっていく。ステキです。私たちの教会も、こんなユリノキのようでありたいですね。(島津)
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2018年04月29日

実は私、〇〇なんです

 4月8日に行われた教会の親睦会で、「実は私、〇〇なんです」という自己紹介的なゲームをしました。〇〇のところに自分のことを書いていただいて、それを読み上げて、それが誰かを当てるゲームでした。
 その人の知らない一面が出て来て、「へぇ〜!」という感じで、たくさん笑いました。「人は見かけによらぬもの」といいますが、一人ひとりが、ユニークで、隠された賜物を持っているのだということも知ることができました。当日は、時間の関係で全員の方を紹介することができなかったので、提出してくださった紙をファイルしておきました。見てみてください。楽しいですよ。
 最近読んだ本の中に、人にとって「居場所がある」ということが大切さだということが書かれていました。辻堂教会では、教会を紹介するキャッチフレーズの中に「あなたがホッとできるところ」というのがありますが、「ホッとできるところ」とは、まさに、ここに自分の居場所がある、ということではないかと思いました。親睦会のときのゲームを通して、改めて、神さまは辻堂教会にユニークな方々を集めてくださったなぁと思いましたが、その隠された賜物が生かされる場をもっと作ることができたら楽しい!という可能性を感じました。(島津)
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2018年04月22日

あなたの荷を主にゆだねよ

 祈祷会で、詩篇55篇を読みました。特に22節に心が留まりました。「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない」。ここのところを、新改訳聖書2017では、「あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。正しい者が揺るがされるようにはなさらない」と訳されていました。そして、「の重荷」のところに米印がついていて、欄外の注に、直訳「に与えられたもの」と書かれていました。
 「あなたの荷」とは、「あなたに与えられたもの」だ、というのです。徳川家康は「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」と言ったといわれますが、まさに誰もが重荷を負って歩んでいるのが人生なのでしょう。しかし聖書は、その重荷は神さまがその人に与えられた荷なのだというのです。そして、それを、あなたが一人で負わなくて良いのだ。主が共に担ってくださり、あなたを支えてくださるのだから、主にゆだねて歩め、と勧めているのです。この日の祈祷会の朝、家族から「猫背になっている」と言われていた私はこのみ言葉を味わって、元気をいただきました。主からの荷ならば、主が責任を取ってくださるのですから。(島津)
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2018年04月15日

東京聖書学院入学式

 4月11日に東京聖書学院の入学式がありました。今年は、本科入学6名、一年訓練コース7名、本科編入(3年)1名の計14名の方々が入学されました。
 入学式で祝辞を頼まれていましたので、こんな話をしてきました。
 私が学院に入学したときは、一年生の科目に「視聴学教育」という科目がありました。その授業でパペット(片手を入れて操る人形)を作るということになりました。私は、聖書学院に入って来て、なんで家庭科の裁縫のようなことをしなければいけないのか、と心の中でブツブツ言っていました。それがいけなかったのです。縫い合わせる段階になって、縫い代を取っていなかったことに気づきました。しかし、時すでに遅し。予定よりも一回り小さなパペットになってしまいました。といっても、ぶきっちょな私を見かねて、同級生の女性たちが縫って完成させてくれたのですが。ここで、教訓です。見えないところこそが大事、無駄と思うところこそが必要、そこに宝物が隠されている。いいサッカーの選手は無駄走りをいとわない選手だそうです。見えないところを大事にし、無駄走りをいとわない生活をとおして、主の僕がつくられていきます。
 今の自分への教訓でもありました。(島津)
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2018年04月08日

人づくり研修

 3月末に、アジアンアクセスという宣教団体主催の「人づくり研修」というセミナーに出席してきました。人は知的に教えられるだけでは成長することは難しいということで、どうしたら人は変えられ、成長していくことができるのか、ということがテーマでした。
 特に印象深かったことは、@成長は神さまのみ旨だということ。神さまはどんな人であっても、成長させてくださる。A教える人は、成長させてくださる神の同労者。成長させてくださる神さまの視点で、人を見ていくことが大切。神さまが成長させてくださるのだから希望がある。B人は自分で気づき、発見するときに、喜びがある。その喜びが自発的な行動となっていく。そのようにして、人は変えられ、成長していく。C教える人は、教え過ぎない。フォーカス(焦点)を絞る。問いかけをし、自分で考え、気づくように導く。そんなことを学びました。
 礼拝説教は、どうしても説教者が話すという一方通行になりがちですが、祈祷会やぶどうの会で、説教で聞いたみ言葉を実践したときにどうだったのかが分かち合われ、祈り合っていくときに、み言葉によって変えられていくということが起きてくるのではないかと思います。キリストの形なるまでを目指して!(島津)
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